2015.08.02 Sunday

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2009.08.20 Thursday

全共闘:1Q68の秘密 −吉本隆明をめぐってー

 

村上春樹氏の「1Q84」は予想できないストリー展開が結構おもしろかったが、その話ではない。1968年は全共闘の真最中、6月から翌年の1月までは東大安田講堂が学生に占拠された伝説の時代である。
 
最近、本屋に通う中で、1968年の当時東大に席を置いていた作家、先生方が当時のことを語った本をこぞって出し始めた事に気がついた。まだ、マスコミの注目をひくには至っていないようである。 もっとも、永田洋子氏から重信房子氏まで、真の当事者たちの独白は、これまで世間の注目を浴び、事件の意味を同時代の人間に問うてきたと思う。

個人的な印象でいえば、これまで、執筆した書籍を愛読してきた80年代からの思想、評論を担ってきた先生方が60歳を間近に迎え、現存する方々への配慮も図りながらも、当時をことを一気に語りだしたように思えたのだ。

ここに挙げた書籍も何冊か読んでみると、点と点が結ばれて、おぼろげな全体像が浮かび上がってきたような気がする。彼らの履歴をまとめてみると、どうやら、次のようになるようだ。細部に間違いがあれば先にお詫びしておく。

藤原書店でバルザックの人間喜劇シリーズを企画した、古書コレクターの鹿島茂氏(仏文)は、1968年に東大文三に入学している。また、同年、二浪している間に独学でフランス語をマスターし、宗教団体のオルガナイザーも経験した後述する由良ゼミの高弟・学魔と呼ばれた高山宏氏(英文)が東大文三に入学している。

同じ年に、村上春樹氏が早稲田の一文に入学しているが、映画のシナリオ書きがしたくて、同大の演劇資料館に通ったと聞く。桃尻娘でデビューの孤高のエッセイスト橋本治氏は、1967年入学と思われるが、1968年11月23、24日の駒場祭で、「とめてくれるなおっかさん。。。」のポスターを描いている。

6月から占拠された安田講堂は、翌年1月機動隊との間で、安田講堂攻防戦を迎えることになる。 なお、本きちがいの荒俣宏氏は、膨大な著作の中でも学生運動の記述は一切なく、おそらく1968年には慶応大学の図書館から借りたダンセイニの「時と神々」を複写し、挿絵は書き写し、装丁も自ら行うという浮世離れぶりをみせている(「稀書自慢 紙の極楽」)。

同い年の「深夜特急」の沢木耕太郎氏は、横浜国立大学を卒業後、銀行を初日に辞めているが学生時代の手記は確認できていない。
 
翌年の1969年は文部省の意向により東大入学試験が中止となる。蓮実重彦(元東大総長)流の映画評論でデビューした四方田犬彦氏(比較文化)は、東大駒場キャンパスのすぐ近くの教育大付属駒場高校に通って多感で好奇心旺盛な生活を送っており、同高校のバリケード封鎖に参加する。

この時代の知のトレンドからサブカルチャまでを優秀なる頭脳で、貪欲に吸収していくさまは、彼の「ハイスクール1968」に詳しい。四方田氏の記憶力と執筆力はすさまじく、その後の東大の修士課程での生活ぶりは、「鉛の歳月」に、師であり、幻想文学ならびに60年代の知の先端をリードしたみみずく斎・由良君美氏(英文)との確執については、「先生とわたし」に詳しい。

1970年には内田樹氏(仏思想)が東大文三に入学している。やはり、高校で闘争の感化を受けたせいか、日比谷高校を中退し、大学検定を受けての入学である。前述の橋本治氏との対談集「橋本治と内田樹」の中で、1970年の前と後では学生の顔が変わったと語られている。 

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2009.08.16 Sunday

模写された千円札



現代美術がよくわからないのは、自由平等主義が1つの弊害と思っている。

情報処理の能力は1000年前に比べて進歩したと思うが、感受性をつかさどる脳の身体能力が1000年前に比べて進化したとは考えにくい。

しかし、個人の能力の無限の可能性を前提とした近代社会では、個人の自由な想像力とか表現力を是とし、その表現に貴賎なしとした。

造形物であれば、人物像であろうとオブジェだろうと、古典的な黄金比率からは逸脱し、曲がったり、顔や手足が長かろうが短かろうが、自由である。 さまざま材料の選択も、表面の質感の仕上げも構わない。それをのびやかな表現力をよぶことは簡単である。絵画であればどんな色を塗ろうと、絵の具を高く盛 り付けることもキャンバスに穴を開けようと、何でもありである。これをまとめて多様性の時代と言い訳はできる。

ところが、そのできあがった作品が、その形にならなくてはならなかったという内的必然性が感じることが往々にして難しい。これは単に、感情の垂れ流しではないかと思うことも多い。

元内閣総理大臣の細川護煕さんは政界を引退後、道楽で茶陶器の製作に没頭されている。その作品は、安土桃山を祖とする典型的な茶陶器の写しに近い もので、オリジナルというよりは伝統的な様式美の再現の追究と見受けられる。作者の銘がないとしても、作り方に自由さはなくても、その作品は十分な魅力を 備えている。

さて、書きたかったのは、赤瀬川原平さんのことである。

芥川賞作家、路上観察、老人力で、世間一般に名前を知られるようになった赤瀬川原平さんのゲージツ生活は、武蔵野美術学校時代の前衛芸術活動から 始まった。60年代、アンデパンダン展は、時代の最先端の象徴であり、彼も海外芸術家を模倣して、身の回り品を包装紙で包む作品を作った。

その後、仲間と結成したハイレッドセンターでは銀座の街をヘルメットをかぶって雑巾等で清掃する活動を行った。パフォーマンスとかハプニングがも てはやされた時代だった。こういう前衛活動は、たちまちに袋小路に陥りやすい。実のところ、赤瀬川原平さんは、巨大な千円札の模写は作品としては成功する ものの、通貨及証券模造取締法違反で起訴されてしまうのだった。

こうして赤瀬川原平さんは、前衛芸術の袋小路の中で、文章創作活動に機軸を写し、その芸術家としてのオブジェ感覚から少し力をぬいた作風で1979年には芥川賞作家になるに至った。

それからの赤瀬川原平さんの自由な眼の活動は、周囲の友人たちとのコラボによって80年代のサブカルチャを担った。

路上観察学会とトマソンの発見は、その功績の1つである。トマソンとは、日常の街並みや家屋に見られる不思議な物件やアイテムのことであり、巨人に在籍していたトマソン選手が期待されるほど役に立たなかったことに命名を由来する。

「純粋階段」と言われる物件は、階段の上がった先の家屋入り口がふさがれてしまったために、その階段としての目的を失った無用のオブジェである。
「ワイパー」は、家屋の外壁等に、草木の動いた後が汚れの痕跡として残った作品である。


子供のように無邪気に発見を楽しむことをご卒業された諸兄には、何ら興味を引かない話だと思う。それがどうしたと。少しは賛同される方々がおられることを前提として先に進ませていただく。

赤瀬川原平さん自身やその仲間たちも、言及をしていないことなのであるが、赤瀬川原平さんの路上観察学のファンになり、その後、過去の前衛芸術の活動を知ったときに、なぜ赤瀬川原平さんがトマソン物件にこだわるのかが痛いほどわかった気がした。

前衛芸術活動は、現代美術のモットーとする自由平等の行きどまりの1つである。何か、常軌を越えたものをだし続けることは、毎日テレビにでるお笑い芸人のようにしんどい。しかも、芸術家なので、そこにある種の意味とか美しさを盛り込まなければならない。

前衛芸術活動から引退し、自由な眼だけは磨きつづけた赤瀬川原平さんがトマソンを見つけたときには、これは自分が創作に励んでいた作品そのものだ と気が付いたはずだ。包装された扇風機には、包装される意味はなかったし、模倣された千円札には模倣される意味はなかった。芸術活動が目的だったからであ る。

戦後の成長経済の軌跡は、目に見える形の結果として、戦前の建造物を破壊し、雨後の竹の子のように家屋を建て、建て替えも間に合わずに、増改築を繰り返 した。増築で不要になった入り口は、取り急ぎ、ふさいだとしても、入り口までの階段はそのまま残された。隣家が突然解体され、その影が原爆あとのように壁 の残った。わざわざ展覧会に出品するためにそうしなくても、作品は、すでに路上に展示されていたのだったと。

実のところ、海外にはトマソン物件は少ないらしい。

誰か、トマソンは、実は、赤瀬川原平さんが作っていたのを、見たという人はいないか。


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2009.08.10 Monday

偶然の一致の科学



村上春樹氏は短篇「偶然の旅人」で、お得意のジャズの神様のエピーソードを披露している。アメリカの中古レコード屋でリバーサイドレベールのペパー・アダムズ「10 to 4 at the 5 Spot」を手に入れて店を出るときのことである。すれ違いに店に入る若者に時間を聞かれ、「it's 10 to 4」(4時10分前)と答えたあとで、偶然の一致に気がついた。短篇の主題は、ジャズレコードとは直接の関係なく、ある種の偶然の一致を手がかりに、ありえそうな物語が展開する。

グスタフ・ユングは、ある日、分析治療を施していると、患者の若い女性が、黄金虫を与えられるという夢をみたと言った。その夢の意味をめぐって二人で対話を交わしていると、ユングの背下でトントンという音が聞こえた。振りかえると一匹の黄金虫が窓ガラスをたたいていたという。(河合隼雄「宗教と科学の接点」)

 晩年のユングはこのような偶然の一致を解明すべく、「シンクロニシティ(共時性)」について、物理学の泰斗ヴォルフガング・パウリと共著を刊行している。ユングのシンクロニシティは、物理学の因果律では説明しきれない偶然の一致を、独立した事象が独自起こることと説明している。 これはデカルトが分離したはずの物心の「心」が事象の発生や観測に影響することを前提にした議論と思われる。ニューサイエンスのブームの中で、多くの読者の関心をひいたが、それ以上の知見や展開を与えるものではなかったと理解している。

そもそも、このような偶然の一致は、近代科学ではどこまで説明ができるものだったのだろうか。科学の説明できない因果律について、まずはこれから先の科学ならば解明できるであろうとする素朴な近代科学擁護派の存在が容易に考えられる。現代の科学が解明できていないものであって、いずれ科学が進歩すれば、いずれ解明できるであろうとするものである。ここでは偶然の一致を体験する被験者側の脳の状態を含めて、何らかの原因があって結果があると考えるだろう。

一方、科学の進歩とは関係なしに、科学が説明できないもの全てを因果関係で説明尽くそうとするのが近代の「オカルト」である(池田清彦「科学とオカルト」)。ある意味オカルトは、「すべてが説明可能でなければならない」とする近代の大前提を担保するという点において、近代科学と共犯関係にあるとも言える。どのような説明体系を好むかは、個人の価値観の範疇ではある。

しかし、近代科学をあらゆる事象の因果律の説明に利用しようとすること、また、その説明ができないことに対する批判は、そもそも、科学の適用自体に誤解があることを指摘しておこう。それは近代科学の説明対象は、繰り返して発生する事象であって、一回限りの事象は科学をもってしても説明はできないということである。

 ビッグバンも進化も目で見たわけではないが、人類の知見によればその存在事実は正しいらしい。それを信じるとすればいずれも一回性の事象である。宇宙が膨張を終えると再び、ビッグバンの状態にもどってと、繰り返し、進化の系統樹が、また元の枝をもどっていくとすれば別なのだが。一回性の事象は予見も予知もできないのが近代科学の実力であるのだから。ナイル川の氾濫から太陽暦を導くことができたのも、繰り返しの周期性を利用した典型である。

とすれば、人の一生がおおよそ100年未満であることは経験則からわかったとしても、個別具体的な個々の人の人生に関わる事象も、他人の人生で代替できない一回性のものであるのは間違いなく、貴方が誰かと偶然にめぐり合う偶然の一致は近代科学のあずかりしらないところである。

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2009.07.26 Sunday

デカルトの脳サイエンス序説

ルネ・デカルトは近代哲学の父と呼ばれている。その功績は、1つには、物心二元論の導入により、大宇宙と小宇宙の人間は照合しているとする、中世からルネサンスまでのオカルト哲学を終焉させたことである。物と心を分離したことで、物だけは一気に、客観的科学的に取りあつかうことができ、いわゆる近代科学の礎となった。 

 
もう1つの功績は、「我思うゆえに我あり」である。あらゆるものを疑う方法的懐疑の結果、「自己の精神に明晰かつ判明に認知されるところのものは真である」とし、人間の理性による思考活動によって真理に至る事が可能であるとした。

高校生の子供の参考書に、こういった内容が要約して書いてあったので、大きな間違いはないと思う。

さて、理論物理学に代表される近代科学の行き詰まり感の中で、脳科学は、少しづつ新たな発見があって、科学の希望を垣間見させてくれているように思う。 インド系脳科学者のラマチャンドラン氏の「脳の中の幽霊」は、彼の研究と臨床経験に基づく、知見とエピソードで、脳について新たにわかったことを楽しく説明してくれている。

特に、すでに事故等でなくなった腕や足がなお、存在して、痛みを伴う幻肢についての記載は興味深い。脳科学、特にラマチャンドラン氏の科学の楽しさは、そのアマチュアリズムの精神にあると思う。難しい知識や数学の理解がなくても、素朴な対照実験等を通して、まだまだ、脳のマクロは現象は解析可能であるというスタンスは好感が持てる。

すでに、深層心理学のフロイド博士の仮説や理論が、サイエンスによって補完、訂正されるようになってきた今日、より多くの人文系の思想も脳科学によって、補完され、よりよきものになっていくように思う。それは不幸ではないと思う。科学とはカールポパーの言うとおり、反証可能で、未来に知見によって否定されていくことに健全性を持ち、宗教的な原理主義と一線を画すものだからだ。


前置きが長くなったが、先のデカルトの、「我思う、故に我あり」とは、今日の脳科学的知見では、いったいどのような現象・行為なのであろうか。 「思う」を広く生理的感覚に拡張すれば、犬でもゾウリムシでも、「思う」ことになってしまうので、これをもって彼らの存在意義を認めてもよいのだが、彼らが、何か行動をもってして真理を追究することは考えにくい。

そうすると、「思う」とは、言語を使うことが必須がどうかはわからないが、少なくとも、大脳での一時性感覚野からの視覚、聴覚等の情報を処理し、一次運動野へ筋肉の動きの指令を処理する情報処理を現すとしても間違いないようだ。
 
もっとも「身体が考える」とする考えはあるだろうし、この場合には、運動機能を支配する小脳をもってして、「思う」という余地はあるだろう。
 
ここまでの理解では、「我思う」という記載が、大脳の前頭葉の動作であると、対応づけできた。 次に、「我思う、故に我あり」の主語は何だろうか。実は、これも「我 廚任△辰董◆峅罩∋廚Α廚硲欧弔痢峅罅廚あることに気がつく。表現によっては、再帰的または自己循環的に同じ「我」であるという言い方もできるのだが、よりわかり易く、別のものとしよう。

そうすると、「我 廚蓮大脳の前頭葉での情報処理の状態(考えているプロセス)を上層から観測している(考えていることを認識する)実体であることがわかる。 そうすると、、「我 廚蓮大脳の前頭葉の中でこのメタレベルの意識をつかさどる部位であるはずだ。

上述のラマチャンドラン氏や中田力氏の著作(いち・たすいち)ほかに紹介されているが、脳の機能を特徴的に示した有名なゲイジ事件がある。1848年鉄道工事の爆破事故で長さ100センチの鉄棒が労働に従事していたゲイジ氏の前頭前野を貫通した。

この不幸なゲイジ氏は、幸いなことに、ほとんど障害なく、その後の生活をすることができたが、不幸な事実は、その事故の後は、優秀で誠実な人格ががらりと変わってしまったことだった。 同じ顔同じ声で同じようにふるまうゲイジは、まったくの別人で、卑猥で、周囲への気遣いなく、頑固で、悪意に満ちていたという。要は、高度な理性、判断力というものが前頭前野とともに失われてしまったのだ。

つまり前頭前野は、理性と高度な言語活動をつかさどる部位であって、ただヒトという生命として生きるには必須なものではないのだ。
 
ここで、デカルトの、「我思う、故に我あり」に、これらの脳科学の知見を当てはめてみるとするならば、、「我 廚蓮∩案前野のことではないかと思う。

ずなわち、高度の言語活動の必然的結果として、意識の活動をするようになった前頭前野=我,蓮下位にある前頭葉の活動を監視するようになったと、たぶんに、素人の大胆な仮説を導くことができる。

そもそも、フロイドのいう深層心理で、あるいは、夢の中で、脳が活動しているとは、前頭葉のCPUがランダムに入力してくる信号を無作為に処理しているだけではないか、意識のないところ、そこに言語的な有意性がないのは当然である。

そうすると、デカルトの仮説「我思う、故に我あり」とは、現代の脳科学的知見をもって、言い換えると、前頭前野が、前頭葉での脳の活動を認識できるので、(理性をもってして真理に至る事ができ、それをもってして脳の存在意義があるのだ)といえるのではないか。

甚だ、根拠のない仮説ではあるが、「生きている意味は、自分で考えること」、と信じる私には、少しは価値のある脳の活動のアウトプットであればよいのだが。
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