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2009.09.15 Tuesday

文体の選び方 バルザック、Wikipedia

 

インターネットの普及の結果と思うのだが、人の文体について気がついた。

2CHへの書き込みは、発言者がこぞって2チャンネラーと化してしまので、同一人物でないかと思うほど、その書き込みの口調が似ている。2CHでの独特の言い回し、決まり文句を除いた部分にあっても、書き込みの内容は類型化するし、その文体も類型化しているのだ。

人は誹謗中傷をすると個性を失ってしまうのだろうか。

Wikipediaを見ると、どの文章も簡潔に表現されており、見事な表現である。どれも専門家が書いたように文章の癖がないし、文章を寄稿している人の個性は見えない。

披露宴の祝辞ではないが、ちょっと背筋を伸ばしたTPOでも、少し没個性化するように思える。

一方、いろいろな方のブログを拝見すると、もう文体のスタイルは一目瞭然であって、うまい下手はともかく、著作権法の唄うところの個性の創造力の発揮を見る。

バルザックの「人間喜劇」は藤原書店の選集でも全3000ページに至る大作であるが、「ナニワ金融道」と「渡る世間に鬼はなし」を足したような19世紀の市民の波乱万丈を描いてめっぽうおもしろい。 いささかの過剰な前ふりを文学だと思って少しだけがまんすれば、こんな豊饒な市民描写があるのかと驚くほどである。市民社会が完成した19世紀パリの類型化した市民の人物と風貌の描写が圧倒的であり、そこには、近代になってばらばらとなった個人を典型的な人物像の類型化(パターン化)によって定義しようとする情熱を感じる。

インターネットにおける文体の没個性化=類型化というのも、バルザックの描いた1つの近代市民の類型のように思える。それは、インターネットの中の1つのソサエティに参加するときに、人は無意識に類型的な没個性の仮面をかぶるからではないだろうか。



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