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2015.08.02 Sunday

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2009.09.13 Sunday

本の流刑地2

 
一方、古典の書物は、百年以上の歳月の中を、その時代ごとの読者に可愛がられてきただけあって、生き残りという点でしぶといと思う。

現代のエンサイクロペディストの種村季弘氏が、活気があったころの「ブルータス」に連載していたコラムに、先の戦争中の新刊書の供給事情を生々しく記載している(「書国探検記」)。

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本屋で新刊書を売っているという事件は実にひさしぶりだった。昭和十七、八年頃までは近所の本屋で吉川英治の「宮本武蔵」を全巻立ち読みできたのだが、十九年に入ると本屋の書棚はにわかにガラあきになり、どのみち売れ残るしかない岩波文庫のギボン「ローマ帝国衰亡史」だの、マルクス・アウレリウス・アントニウス「自省録」だのが、しらじらと片隅に身を寄せていた。商品がないのは本屋の話だけではなかったが、売れ残りしか置いていないガランとした書店は殊のほか荒涼感をそそる。
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そして、戦火をくぐりぬけてきたマルクス・アウレリウスは、あのセロハン紙のカバーから光沢あるクリーム色カバーの青帯に姿を変えて、今なお、書店の本棚で見ることができる。

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人間の生命にあっては、その歳月は点であり、その質料は流動するもの、感覚は混濁し、全肉体の組織は朽ちやすく、魂は狂乱の渦(うず)であり、運命は窺(うかが)いがたく、名声は不確実である。これを要するに、肉体のことはすべて流れる河であり、魂のことは夢であり煙である。人生は戦いにして、過客の一時(いっとき)の滞在であり、後世の評判というも忘却であるにすぎない。(自省録)
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哲人皇帝アウレリウスは、自らの死後も、自分の書いた自省録だけは、時代を越えて死なずに生きながらえることを予言していたかのごとくである。なるほど、アウレリウスはいつも立派であるが、バックアップとレイドで多重化されて、データが確実に格納されていくインターネット上のプロバイダのサーバーに保存されていき、世間の目にさらされていくブログ・日記は幸せだろうか。



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