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2015.08.02 Sunday

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2009.08.27 Thursday

(続)ベトナムヌードル:異国で食べていくこと

 

ベトナムヌードルの、真骨頂は、ちょっと野草のように癖のあるコリアンダー・パクチーがはいっていることである。これが好きか嫌いかで、ベトナム料理への嗜好の好みがわかれる。自由が丘でベトナム人の方のやっているお店でも、コリアンダーは安価には入手困難のようで、三つ葉で代用していた。

さらには、テーブルには魚醤と、とびきり辛い唐辛子系の香辛料がおいてあって、味付けは調整可能であるが、おおむねアミノ酸の味付けはほどよくできている。

さて、1週間ぶりぐらいに、東洋系のアミノ酸たっぷりの食事にありつけたのでベトナムヌードルさえあれば、ここでも生きていける、と初めてのコリアンダーの臭さにはエキゾチックな違和感は感じながらも、ひしひしと思ったのだ。

食の恨みは恐ろしいが、食の恩義は一生忘れないものである。

米国に暮らすベトナム人の多くは、ベトナム戦争後に渡ってきた移民である。米国の移民社会にも、目には見えない階級のようなものはあって、それは、労働者階級の職業で明確に知ることができる。たとえば、90年代のニューヨークの雑貨店はコリアンが多く、ベトナム人は彼らの後発と思われる。

上司がシリコンバレーのレストランのトイレで従業員向けに用を足したら手をきれいに消毒するようにと、の注意文が、中国語、スペイン語、その次にベトナム語の順番で書いてあることを最初に発見し、報告してくれた。

おそらくは、勤勉なベトナム人たちは、少なくとも建前上は、移民に対しても門戸をオープンに広げたアメリカの地で、後発という不利な条件の元、ある者たちは、自分たちのソウルフードであるベトナムヌードル=フォーを、万人向けに洗練させて世界標準へのと野望を抱いてレストランを展開していたのだ。それがITのデファクトの聖地シリコンバレーだったのは偶然かどうかはわからない。少なくとも、自分は、アメリカでアミノ酸系のいわゆる「だし」の効いた食事に飢えている者の一人として、ベトナム料理に邂逅したのだと言える。

その後、現地でのベトナムとの縁は続いた。現地での提携会社での担当者はちょっとヒドイ発音のベトナム人だった。深夜続きの共同作業が終わった後、タイ料理よりは少しばかり辛くないベトナム料理のスープをごちそうしてくれた。

唐代に陸願なる苦学生がおり、幼少より麺を好み、終日食べていたという。ある日ベトナム人がやってきて、黄金を差し出して、あなたが麺を好むのは腹中に「食麺虫」がいるせいであり、ついてはそれを、譲ってほしいという。これに応じ、さしだされた丸薬を飲むと、二寸ほどの大きさの食麺虫が口から飛び出、ベトナム人はこれを金箱に封じて去っていったという(張読「宣室志」、四方田犬彦「食卓の上の小さな混沌」)

米国で食麺虫が、腹に寄生してしまったのかどうかわからないが、帰国後は家族そろってベトナム料理のファンになってしまった。

ベトナム人への恩義が食麺虫のせいかどうかはわからない。






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