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2009.08.20 Thursday

全共闘:1Q68の秘密 −吉本隆明をめぐってー

 

村上春樹氏の「1Q84」は予想できないストリー展開が結構おもしろかったが、その話ではない。1968年は全共闘の真最中、6月から翌年の1月までは東大安田講堂が学生に占拠された伝説の時代である。
 
最近、本屋に通う中で、1968年の当時東大に席を置いていた作家、先生方が当時のことを語った本をこぞって出し始めた事に気がついた。まだ、マスコミの注目をひくには至っていないようである。 もっとも、永田洋子氏から重信房子氏まで、真の当事者たちの独白は、これまで世間の注目を浴び、事件の意味を同時代の人間に問うてきたと思う。

個人的な印象でいえば、これまで、執筆した書籍を愛読してきた80年代からの思想、評論を担ってきた先生方が60歳を間近に迎え、現存する方々への配慮も図りながらも、当時をことを一気に語りだしたように思えたのだ。

ここに挙げた書籍も何冊か読んでみると、点と点が結ばれて、おぼろげな全体像が浮かび上がってきたような気がする。彼らの履歴をまとめてみると、どうやら、次のようになるようだ。細部に間違いがあれば先にお詫びしておく。

藤原書店でバルザックの人間喜劇シリーズを企画した、古書コレクターの鹿島茂氏(仏文)は、1968年に東大文三に入学している。また、同年、二浪している間に独学でフランス語をマスターし、宗教団体のオルガナイザーも経験した後述する由良ゼミの高弟・学魔と呼ばれた高山宏氏(英文)が東大文三に入学している。

同じ年に、村上春樹氏が早稲田の一文に入学しているが、映画のシナリオ書きがしたくて、同大の演劇資料館に通ったと聞く。桃尻娘でデビューの孤高のエッセイスト橋本治氏は、1967年入学と思われるが、1968年11月23、24日の駒場祭で、「とめてくれるなおっかさん。。。」のポスターを描いている。

6月から占拠された安田講堂は、翌年1月機動隊との間で、安田講堂攻防戦を迎えることになる。 なお、本きちがいの荒俣宏氏は、膨大な著作の中でも学生運動の記述は一切なく、おそらく1968年には慶応大学の図書館から借りたダンセイニの「時と神々」を複写し、挿絵は書き写し、装丁も自ら行うという浮世離れぶりをみせている(「稀書自慢 紙の極楽」)。

同い年の「深夜特急」の沢木耕太郎氏は、横浜国立大学を卒業後、銀行を初日に辞めているが学生時代の手記は確認できていない。
 
翌年の1969年は文部省の意向により東大入学試験が中止となる。蓮実重彦(元東大総長)流の映画評論でデビューした四方田犬彦氏(比較文化)は、東大駒場キャンパスのすぐ近くの教育大付属駒場高校に通って多感で好奇心旺盛な生活を送っており、同高校のバリケード封鎖に参加する。

この時代の知のトレンドからサブカルチャまでを優秀なる頭脳で、貪欲に吸収していくさまは、彼の「ハイスクール1968」に詳しい。四方田氏の記憶力と執筆力はすさまじく、その後の東大の修士課程での生活ぶりは、「鉛の歳月」に、師であり、幻想文学ならびに60年代の知の先端をリードしたみみずく斎・由良君美氏(英文)との確執については、「先生とわたし」に詳しい。

1970年には内田樹氏(仏思想)が東大文三に入学している。やはり、高校で闘争の感化を受けたせいか、日比谷高校を中退し、大学検定を受けての入学である。前述の橋本治氏との対談集「橋本治と内田樹」の中で、1970年の前と後では学生の顔が変わったと語られている。 

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