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2015.08.02 Sunday

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2009.08.17 Monday

トムとジェリーの運動方程式

  

子供のころ、トムとジェリーのアニメーションを見て育った。何曜日の何時だったのか、記憶にはない。おそらくは日本のどこでも、メイン番組のすきまで、放映されていたのではないかと思う。

今から思えば、どこが始まりでどこが終わりなのかも全く定かでない。猫のトムはネズミのジェリーをおっかける、ネズミのジェリーは猫のトムにいたずらをしかける。永遠の繰り返しだった。一番組が一日中、繰り返していたとしても、誰も気がつかないような、アニメ(カートゥーン)番組だった。

最近、子供が物理の勉強を始めた。初速度と、加速度が与えられたとき、XX秒後のボールの移動距離を求めよ、といった問題だ。ときに、電車と自動車の競争になり、電車は、加速度運動で自動車を追い越し、自動車は、次の駅で停止している電車を追い抜く。問題集なので、答えは、必ず一意的に定まる。

物理の問題集を読んでいて思い出したのは、トムとジェリーのアニメーションであの彼らが動きまわるドタバタシーンである。ジェリーの仕掛けた罠は、きちんと理屈どおりに動作して、岩石は、所定の時間後に、トムの頭の上に落下する。トムは、あたかも物体のように、つぶれ、飛び跳ね、転落する。

アニメを見て喜ぶ子供たちの痛快さというのは、自分の思い描くように確実に、トムをやっつけることのできる明晰さへの期待に基づいている。

子供を励ますのは、このように、3歳の子供のマインドのまま、能力だけは、スーパーマンの力を発揮できる強さである。その明晰さの根拠が物理法則であることも当然に知らないが、理路整然としたものへの生理的な嗜好がある。

機械仕掛けの動きと言う点では、あの有名なチャップリンの映画はどうだろうか。おそらくチャップリンの映画ともなれば、映画評論家の面々によって分析つくされており、ここで語ることも、誰かの二番煎じかもしれないが、話を進める。

モダンタイムズで、チャップリンの演じる主題の1つが機械文明における人間性の疎外というのは、異論はないと思う。それに加えて、あのユーモラスな彼の動きというのが、まるでぜんまいを巻いたからくり人形のようにぎこちなく動く姿というのも、これもまた、関節の複雑な動きをプログラムコーディングした、現代のロボットに近い。

つまりは、チャップリンの動きにおいても、物理法則を埋め込んだからくりと、その姿への滑稽さというものは、もう1つの主題となっていると思うのだ。機械文明によってヒトは歩く姿も食べる姿もぎこちなく、ドタバタとしてしまったのだと。

もっともチャップリンに限ったことではなく、あのバスターキートンの無声映画でのかけつ転びつの動きにも物理法則を見ることはできるし、初期のディズニーのアニメにも、運動法則に基づくドタバタを見ることはできる。

ここで、ゴーレムに遡る人工生命の系譜や非線形力学による未来の予測不能性の議論を展開してもよいのだが、やめておこう。

それでは、どんな教訓があるのかと問われたら、今の子供に必要なのは、理路整然として明るく励ます物語であり、大人に必要なのは機械仕掛けでぎこちない自分の動作を笑いとばし、自ら動きだす意志だと答えたい。


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