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2015.08.02 Sunday

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2009.08.16 Sunday

世界は言葉でできている




子供のころはお化けが怖かった。愛読していた学習図鑑も鯨の泳ぐページだけは、飛ばして見ないようにした。

大人になって、お化けの話が好きになった。正確に言えば、幻想文学の愛読者になった。

世界は言葉でできていることを前提とすると、幻想文学とは、こちら側とあちら側の境界を発見する試みである。境界を越えてあちら側(異界)に行って帰ってくる冒険譚はファンタジーと呼ばれ、あちら側(あの世)に行きっぱなしの世界はXXガイとかオカルトとか呼ばれる。

ファンタジーのヒーローが賞賛されるのは、その勇気でなく、あちら側で甘美な世界に誘惑されても戻ってくる倫理観にある。幻想文学の愛読者が注目されないのは、臆病なので、境界のクレバスを見つけたら、そこで満足して引き帰してくるだけだからである。


川上弘美さんは、日常生活が突然と、足元から地面がぬけそうになる、儚く不思議な短編を書く美人小説家である。ある日、彼女が谷内六郎の本について朝日新聞に書いていた書評を見つけ、一読した。幻想文学を愛好する者の行く途を指し示す思いがして、大切に切り抜いておいた。

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子供のころ、谷内六郎の描く『週刊新潮』の表紙がこわかった。そしてそれは、宮沢賢治の童話を読むときのこわさと、同じ種類のものであった。児童文学と呼ばれるものの大概をわたしは愛読したのもだったが、どうしても賢治だけは読めなかった。

なぜか。そこには理路整然というものがなく、子供の世界の模糊としたさまが描かれていたからである。そこには善も悪もなく、淋しさや暁の幽(かす)かな光のようなものだけが、世界の方向を決めていたからである。子供を子供の世界に放り出しても、子供は困惑するばかりなのである。子供があかるい歓びを感じるのは、子供の世界を整理し方向づけ、はげましてくれるものだ。

子供はその中ではじめて、守られているように感じる。現実の子供の世界の隙間から噴き出す悪夢と無秩序を、見ないですむと感じる。子供が大人になること。それはたぶん、世界の無秩序を自分の中で飼い馴らすことが上手になること、なのだ。(川上弘美 「大好きな本」)
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確かに子供のとき、床屋で順番を待つ横に詰まれた週刊新潮の表紙とそこのテレビから流れる退屈な大相撲の拍子木は、気持ちに暗雲垂れ込めさせ、陰鬱たる思いにさせた。


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