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2009.08.10 Monday

偶然の一致の科学



村上春樹氏は短篇「偶然の旅人」で、お得意のジャズの神様のエピーソードを披露している。アメリカの中古レコード屋でリバーサイドレベールのペパー・アダムズ「10 to 4 at the 5 Spot」を手に入れて店を出るときのことである。すれ違いに店に入る若者に時間を聞かれ、「it's 10 to 4」(4時10分前)と答えたあとで、偶然の一致に気がついた。短篇の主題は、ジャズレコードとは直接の関係なく、ある種の偶然の一致を手がかりに、ありえそうな物語が展開する。

グスタフ・ユングは、ある日、分析治療を施していると、患者の若い女性が、黄金虫を与えられるという夢をみたと言った。その夢の意味をめぐって二人で対話を交わしていると、ユングの背下でトントンという音が聞こえた。振りかえると一匹の黄金虫が窓ガラスをたたいていたという。(河合隼雄「宗教と科学の接点」)

 晩年のユングはこのような偶然の一致を解明すべく、「シンクロニシティ(共時性)」について、物理学の泰斗ヴォルフガング・パウリと共著を刊行している。ユングのシンクロニシティは、物理学の因果律では説明しきれない偶然の一致を、独立した事象が独自起こることと説明している。 これはデカルトが分離したはずの物心の「心」が事象の発生や観測に影響することを前提にした議論と思われる。ニューサイエンスのブームの中で、多くの読者の関心をひいたが、それ以上の知見や展開を与えるものではなかったと理解している。

そもそも、このような偶然の一致は、近代科学ではどこまで説明ができるものだったのだろうか。科学の説明できない因果律について、まずはこれから先の科学ならば解明できるであろうとする素朴な近代科学擁護派の存在が容易に考えられる。現代の科学が解明できていないものであって、いずれ科学が進歩すれば、いずれ解明できるであろうとするものである。ここでは偶然の一致を体験する被験者側の脳の状態を含めて、何らかの原因があって結果があると考えるだろう。

一方、科学の進歩とは関係なしに、科学が説明できないもの全てを因果関係で説明尽くそうとするのが近代の「オカルト」である(池田清彦「科学とオカルト」)。ある意味オカルトは、「すべてが説明可能でなければならない」とする近代の大前提を担保するという点において、近代科学と共犯関係にあるとも言える。どのような説明体系を好むかは、個人の価値観の範疇ではある。

しかし、近代科学をあらゆる事象の因果律の説明に利用しようとすること、また、その説明ができないことに対する批判は、そもそも、科学の適用自体に誤解があることを指摘しておこう。それは近代科学の説明対象は、繰り返して発生する事象であって、一回限りの事象は科学をもってしても説明はできないということである。

 ビッグバンも進化も目で見たわけではないが、人類の知見によればその存在事実は正しいらしい。それを信じるとすればいずれも一回性の事象である。宇宙が膨張を終えると再び、ビッグバンの状態にもどってと、繰り返し、進化の系統樹が、また元の枝をもどっていくとすれば別なのだが。一回性の事象は予見も予知もできないのが近代科学の実力であるのだから。ナイル川の氾濫から太陽暦を導くことができたのも、繰り返しの周期性を利用した典型である。

とすれば、人の一生がおおよそ100年未満であることは経験則からわかったとしても、個別具体的な個々の人の人生に関わる事象も、他人の人生で代替できない一回性のものであるのは間違いなく、貴方が誰かと偶然にめぐり合う偶然の一致は近代科学のあずかりしらないところである。

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