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2015.08.02 Sunday

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2010.06.08 Tuesday

新参者:加賀刑事が犯人をなかなか見つけようとしないわけ

 テレビドラマの「新参者」が結構おもしろい。同名の原作は東野圭吾の加賀恭一郎シリーズのミステリーで、ベストセラーでもある。

阿部寛演ずる主人公の加賀刑事が、殺人事件の犯人を捜して、聞き込みに廻る。毎回犯人ではないかと勘ぐられる登場人物は、それぞれの暮らしの中で周囲の人たちをを気遣い、かばって秘密をもっている。登場人物が犯人ではないかという疑いが晴れて人形町界隈の下町の人情が毎回1つづつあらわになっていくところが、ミステリーに独特のペーソスを添えて、読者・視聴者の支持を得ているのだと思う。

加賀刑事が新参者であるというのは、この街でいつまでたっても名物の「たいやき」を買うことはできないというエピソードが象徴的ではあるの。加賀刑事がこの街の部外者だからこそ、少し古めかしい人情の綾を遠慮なく、露わにしていくのだと思う。それが本人の本意でなくても、刑事という職務でもあるから。

ミステリーは、外部との交流がなくクロースドな社会に、外部からやってきた探偵が、入り込んでいってそこでおきた事件を解決するというプロットを1つの類型としている。ずいぶんと奇抜な対比に聞こえるのかもしれないが、70年代の邦画では随分と話題になった横溝正史の怪奇シリーズ、たとえば八つ墓村などは、その例である。

石坂浩二演ずる金田一耕助が訪ねる村で、次から次へと猟奇的な殺人事件がスペクタルのように展開する。たいていの場合、犯人は一番大人しい女性で、村と血脈の抑圧の人間関係の中で一番の被害者であって、その復讐劇がまるで、外部の人間に見てもらうことが殺人の意図であるかのように、事件が繰り広げられるのだ。要はなぜ探偵のいくところ事件がおきるかといえば、探偵に見てもらいたいからこそ事件がおきるのだと結論づけることもできる。

それでは、加賀恭一郎の場合にも、事件は加賀に見届けてもらいたくて起きるのか。その視点で説明するならば、事件というよりは、毎回起きる登場人物とその周辺の人々との交流と誤解の綾を、繊細な観察眼で解き解いてもらいたくてドラマは生まれているのだと思う。

加賀が観察し指摘しなければそこにいる登場人物たちも気づくことのなかった、いわゆるそれぞれの「人情」について、登場人物等がそれぞれに感慨深げに考え直す面立ちが印象的な毎回のドラマのエンディングは、加賀刑事の治療行為の効果を示しているのではないか。

いささか、誇張をこめて結論づけるならば、この小説は下町の人情を横糸にしたミステリーではないし、そもそも人情などというものは、下町であったにしても、デリケートな観察眼なしには互いに気がつくこともないのではないか。

と考えるまでに至った点で、単なるノスタルジーにとどまらないドラマの可能性を感じる

2015.08.02 Sunday

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