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2015.08.02 Sunday

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2009.12.16 Wednesday

珈琲の余韻とトルストイ

 


珈琲については自論がある。

うまい珈琲の味は、飲んだときの舌の味覚でわかるのだが、
それは、酸味のキレだったり、深い苦味だったりと、さまざま
である。

一方、まずい珈琲かどうかは、飲んだあとの後味でわかり、
それはどれも似通っている。

実は、文化、特に五感が関わることは、何ごとも「余韻」をもって
語ることができると思っている。もう少し正確に言えば、視覚や
聴覚での最初の刺激信号のアタックとそれが減衰していく余韻の
部分のバランスや組み合わせである。

たとえば、ピアノの音は、ジャンルや演奏スタイル、曲によって大きく異なる
ものではあるが、アタックの音は、ピアノの弦・鍵盤を叩く音だと
感じる。そして、弦または響板から叩いた音の余韻の音が続く。

うまい演奏はスタイルや個性によってさまざまだが、いずれも
鍵盤のアタックでわかるように思う。それは個性の発揮でもあって
どれがよいとは必ずしもいえないと思う。ところが、下手な演奏や
できの悪いピアノというのは、余韻の悪さがはっきりしている。

つまりは、良い演奏はアタックとその後の余韻がうまく次のアタック
へと音をつなげるのだが、悪い演奏はアタックと次のアタックが
うまくつながっていないバランスの悪さが本質的に、聞く側の
リズムを崩していくように思うのだ。

珈琲の話にもどれば、珈琲がまずいかどうかは、後味に珈琲固有の
ピリリと刺激を残すような爽快感がなく、ときに納豆のような
少し風味の落ちた匂いが残るという点で共通していると思うのだ。
珈琲の専門家ではないので、根拠は定かではないのだが、豆の鮮度
とローストしてからの時間などがこの味の余韻に影響でするのでは
ないだろうか。

インスタント珈琲とは、その意味で実際の珈琲から余韻をぬきとった
ようなものである。

トルストイは言っている。
すべての幸福な家庭は互いに似ている。
不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。(アンナ・カレーニナ)
幸福・不幸と珈琲と関係があるのかどうかは、まだわからない。



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