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2009.11.23 Monday

保坂和志 ストーリーと感傷と比喩と文体のない小説

 保坂和志氏の小説は、一言で言えば、人の日常生活から、紋切り型のドラマやストーリーといったものをそっくり取り除いたあとの、あいまいさ、ゆるやかさといったものを記述する文学であると思う。

保坂氏は、小説家ながら、小説論に対する関心が高く、自ら小説はどうあるべきか、いくつか書物を上梓している(書きあぐねている人のための小説入門、小説の自由) その小説論の記載についても、本人の小説とおなじような、ある種のわかりにくさをはらんでいて、明晰ではなういのだが、主張していることは次のような主旨と思われる。

すなわち、文学活動たる小説を書くということは、文体や、典型的な文学的比喩を真似して、駆使して古典的な小説風の文学調を極めることではなく、何か感傷を甘く語るものでもなく、どんどん先に読み進みたくあるストーリーを提供するものでもない。

むしろ、現実を、言葉で合理的に説明しようとしても零れ落ちる何かをすくいとろうとする作業であると。あくまでも個人的な理解にすぎないのだが、これはそのまま異化作業であるし、詩人が詩の言葉をつむぎ取る作業でないかと思う。

このような主義のもと作られる小説には、読者がフツウに期待するドラマも感傷も教訓もなくて、たとえばプレーンソングには、主人公とその周囲の友人との会話が淡々と述べられているだけである。

そこには言葉にできなかった言葉の背景の深い意味など、暗示も明示もしていないし、ただ確かに、日常の会話は、お芝居のそれと違って、あちらこちらへ話は飛ぶし、意味も目的もなくたらだらと続くものであることは、気が付けばそのとおりだと思う。あえて言えば、その芸術性を意識的に排除した文章はちょっと稚拙な感じさえしてしまう

こうした、いわば、コーヒー豆からストーリーというコーヒーを抽出した後の意味のなさそうな滓のほうに何か、小説としての可能性があるのでないかという戦略的な記述に基づいた作品だと言えそうだ。

誰もが保坂氏の作品を読んで、楽しいと思うかは、疑問の余地が残る。これは、ある意味現代美術に近いものがあるからだ。少し感性を研ぎ澄ますことであんがい楽しく鑑賞できる現代美術作品もあることは間違いないのだが、やっぱり古典的なスタイルでちゃんとストーリーも文体も楽しめる小説形式にだって、まだ書き尽くされていない小説はあると思うのだ。




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