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2015.08.02 Sunday

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2009.11.21 Saturday

鹿島茂 社長のためのマキアヴェリ入門

 子供につきあって、山川の世界史を読んでいたら、マキュアヴェリのくだりが目にはいった。

”フィレンツェのマキュアヴェリは君主論を書いて、政治を宗教・道徳から切り離す近代的な政治感を提示した。”

マキアヴェリからもう500年もたつのだが、世間では政治家から道徳を切り離して評価することを理解できないでいると思う。君主になる経験をする機会が何時までたってもないからかもしれない。

本屋に行くと、偶然、鹿島茂氏の”社長のためのマキアヴェリ入門”(中公文庫)を見つけた。鹿島氏の本はいつも文芸コーナーしかチェックしていなかったので、気がつかなかったのだが、一般ビジネス雑誌への寄稿も多いようで、月刊鹿島と呼ばれるゆえんをようやく理解した。


同書は、君主論を昨今の経済環境化での社長の経営論に読み替えている。
サラリーマン歴史学は、歴史に失礼だと思うので、敬遠しがちなのであるが、君主を社長によみかえた事で意図とは逆に、君主の気持ちもちょっとわかった気がした。

”君主(社長)は、戦いに勝ち、ひたすら国(会社)を維持してほしい。そうすれば、彼のとった手段は、必ずやりっぱと評価され、誰からもほめそやされる”

どんなに人望があって自愛にあふれた社長であっても、嫌われている社長であっても、結果が悪ければ悪い社長で、結果がよければよい社長であるとする。

”民衆というものは頭をなでるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。というのは、人は ささいな侮蔑に仕返ししようとするが、大いなる侮蔑にたいしては報復しえないからである。したがって、人に危害を加えるときは、復讐のおそれがないように やらなければならない”

ちょっとドキっとするが、社員とはそういう反応をしているのかもしれない。

”恐れられるのと愛されるのと、さてどちらがよいかである。だれしもが、両方をかね備えているのが望ましいと答えよう。だが、二つをあわせもつのは、いたってむずかしい。そこで、どちらか一つを捨ててやっていくとすれば、愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。というのは、一般に人間についてこういえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだと”


塩野七生を読んでもピンとこなかったけれど、少しわかった気がした。もっとも世間はいまだに、政治家には道徳を要求している気がする。
ただし、賛成かと言われると判断はつけがたい。
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