2015.08.02 Sunday

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2009.08.08 Saturday

(続々)世界で一番やわらかいパン 

  

 もっとも、柔らかいというよりは、透き通るほど薄いという、観点では、べトナムのライスペーパー(バンチャン)は日本のパンに優る。

茹でた海老や豚肉から、香草、シソの葉などの野菜をライスペーパーで包み込んで完成したゴイクォン(生春巻き)は、その洗練性において、日本のお家芸の懐石料理に近い。

四方田犬彦氏は、読者の心を軽妙にくすぐる「食卓の上の小さな混沌」で、ゴイクォンへのオマージュを書き尽くした後で、包みこむ料理の意味をこう考察する。

「包むとは、もとよりばらばらに存在していた要素を一所に集合させ、味覚を多元的に組織することだ。…まとめあげられた包みのなかで肉の甘さと香辛料の辛さが混ざり合い、口のなかでいちどに解放され、思いもよらぬ複雑な風味をもたらす…」

ならばと考えた。ハンバーガーの固いパンも生春巻きのライスペーパーも、その中身の食材を形づけるための入れ物=フォルムではないか。中身の食材は、それだけでは、形も料理の方向付けも何もない、料理以前の炭水化物やたんぱく質の集まりにすぎないものの、一度、包み込まれてフォルム=形式を獲得した瞬間に、その料理としての存在性を勝ち取るのだと。

いささか哲学めいた考察に始終してしまったが、簡単に言う努力を付け加えるとすれば、あのクラムチャウダー・インナ・サワードウも、固いパンの器がなくては、スープに過ぎないが、パンを伴侶と得てようやく、食べ物へと変容するのだ。

さて、この話を書きながら、議論には飽きた読者諸兄にも満足するネタで、食後のデザートを提供することまとめることを思いついたのであるが、あからさまに表現するにはあまりに適当でなく、やんわりと暗示して話をおわりにしたい。

アメリカから帰国した時に、パンのやわらかとともに、改めて発見して驚いたのは、日本人の肌の白さときめ細かさである。これも世界で一番といえるのではないだろうか。熱燗は人肌。とすれば、日本人がパンの柔らかさと白さについて究極に目指した基準は自ずからわかってくるような気がする。
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2009.08.07 Friday

(続)世界で一番やわらかいパン 

  
 アメリカの固いパンの話を書いたのは、日本のパンが世界で一番やわらかいと、書きたかったからである。

アメリカのパンが固いというよりは、日本のパンがやわらかすぎるのだというのが公正な見識であろう。世界のパンを食べ比べたわけではないのだが、日本のパンは世界一番やわらかい部類に入ると思われる。

なぜ、世界で一番やわらかくなってしまったのだろうか。その答えに至るヒントについては、食いしん坊の先達たちの著作の中に比較的たやすく見つけることができた。

林望氏は、ベストセラーとなった「イギリスはおいしい」で、軽妙な語りの中ではいささか力み勝ちに、国文学者らしく折口信夫を引用して、日本のパンのやわらかさについてこう語りだす。

「外来文化を受容するとき、新しい事項を受け入れるときには、必ず受容側にそれとなんらかの意味で相似性をもった固有在来の現象がなくては、その受容された外来文化は定着しない。」

そして、日本のパンがやわらかいのは、フランスパンではなくイギリスのパンを選択したこと、また、ここでいう「相似性をもった固有在来の現象」とは、日本のご飯であるとして、次のように続ける。

「われわれの知る「主食」というものは、白くて、水気がたっぷりあって、もちもちしていて、湯気の出るような温かさをもつ、というあの「ご飯」であった。…結果として、より自分たちの主食に近いイギリス式の食パンを選び取ったのは、これはこれで充分に妥当な選択であったと思われる。」

「こうしてわれわれの食パンは、時を遂って、水分を増し、柔らかくなり、厚く温かく、段々とご飯の持つテクスチャに接近して行った。その結果、あのダブルソフトなどという、まるでふんわり炊きたてご飯にも似た、日本食パンが出現してきたのである...」

そして、イギリスから帰ってきて、日本の食パンを食べてすぐに気がついたことは、この脆さだったことを悲嘆し、薄く切ってバターを塗ろうとした途端に、はかなく折れてしまった、と結んでいる。

いささか機能主義的な考察には、容易に首肯できないものがあるが、かつてトルシェ監督が、日本人はきちんとレストランで肉を食わないから国際試合に勝てないのだと豪語したとき、コンビニのふにゃりとしたパンを食べている日本選手の姿が目に浮かんだ。

まだ、続く。。。

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2009.08.04 Tuesday

世界で一番やわらかいパン

  
  固いパンの話ならばいくらでも書ける。

初めてアメリカに住むことになった時のことである。空港に迎えに来てくれた上司は、アメリカに来たら、まずあそこでお昼を食べよう、と本場焼きたてハンバーグのハンバーガーショップに連れて行ってくれた。鉄板の上で香ばしい煙の上げていたハンバーグは、そのままズシリとダブルベッドに横たわるように大きな輪切りのパンにのせられ、どうだと言わんばかりに両手にずしりと渡された。それから、自分でピクルスやたまねぎを加えて、ケチャップとマスタードをかけた。食べる準備は整った。

それは、最初の一口で、肉を食らうとはこういうものかと感心し、二口目に、あのマクドナルドのダンボール紙のようなパンと肉はいったいなんだったのだろうと後悔し、半分も過ぎればあとは食べきるまで負けられないという意地に変わる。食べ終わったあとに残ったのは満足というよりは市民マラソンを完走した達成感に近かった。

その通過儀礼のあとである。オフィスで挨拶した一年滞在の長い先輩は、あれを食べたんだと確認するように応えると、ハンバーガーは如何にパンがしっかりしているかが大事かを、スーパーのパンの銘柄を具体的にあげて、常識なのか通説なのか持論なのか、滔々と教えてくれた。まだアメリカのスーパーでどんなパンが売っているのかも要領を得ない自分は、よくわからないながらも頷いて、たかがパンから勉強を始めなくてはいけないのだろうかと、小学生のような気分になった。

2つ目の話である。
アメリカでは、かつて漁村だった浜辺をおしゃれな観光地に再開発しており、全国各地にフィッシャーマンズワーフという名称のスポットが点在する。フィッシャーマンズワーフのレストランにはクラムチャウダー・インナ・サワードウ がたいていある。これはサワードウと呼ばれるちょっと酸っぱい酵母で焼いた丸くて大きいパンの真ん中を器のようにくりぬきクラムチャウンダーをよそいだものである。つまりは、パンがちょっとしたドンブリとなっているのだ。

まずは、スプーンで熱いクラムチャウンダーをおいしくいただく。続いて、クラムチャウダーの滲み込んだサワードウの内側をちびちびとパンをちぎりながら味わう。そして、空っぽになった小さな洗面器のようなサワードウの器を、中身を平らげた勢いで、喰らいつくすのである。学校の給食を思い出す。先生は、食べた後の食器は、パンできれいに拭きましょうとは、教えてくれたが、食器の食べ方までは教えてくれなかった。酸っぱいサワードウは、学校の机の奥にへばりついていた1週間前のコッペパンのようで、あまり美味と言えるものではなかったが、満腹感を再確認する儀式のようで、それなりに楽しい作業であった。
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2009.07.10 Friday

ベトナム人への恩義

異国で暮らしていくとは、まず、そこで食べていく事である。 米国の最初の夜に、ポツリと一人、モールの前で車から降ろされた後で、まず最初にしなければならなかったのは、飲食店に出かけて、注文をするということだった。何しろ、英会話学校を除けば英語を実地で使ったことはなかった。海外出張の経験もない土地で、これから毎日食べていなければならないのだ。

初日は、ピザ屋でワン スライス オブ ピザと、ミディアムサイズのコークを注文した。
二日目の夜は、サンドイッチ屋で、中身はなんだったか覚えていない。食材をはさんだロールパンを食べた。中身にいれてほしくないものを尋ねてくるのだが、何のことだかさっぱり要領を得なかった。三日目の夜は、面倒なので、スーパーマーケットで、サンドイッチのたぐいを選んできて食した。固いパンとの格闘の日々だった。

四日目か五日目は、週末だったので、アパート探しに、思い切って遠出をしてた。守備よく契約を完了して、達成感にひたりながら、ダウンタウンまでやってくると、そこは100%中国系というわけではないがちょっとしたチャイナタウンだった。丹念に街を観察してみると、その街はアジア系のダウンタウンであって、確かに中国語の看板をかかげたチャイニーズのお店が、目立つのだが、それ以外にもコリアンやインド料理といったエスニック系も、混じっていた。その中で、ペルシャ語のようなグニャグニャした文字とともにヌードルハウスの看板のある店に、次から次へと客が入っていく。思わずつられてついていった。

結論から言えば、そこはベトナムヌードル店であった。しかも、西洋人向けに味付けをソフィストケートし、値段もリーズナブルなファーストフードショップだった。店員は、60年代の日本人を思い出させるようなかっちりした髪形で、女性スタッフも地味なメイクだった。何よりキビキビとテーブルを廻っているのが印象的だった。

さて、メニューについて言えば、ベトナムヌードルがメインであって、これには大盛り(ラージ)と並(スモール)を選ぶことができる。あとは、日本人には少し固くて味付けも薄いフライドライスと、少し油っぽいお好み焼き風のブンがあった。ベトナムヌードルについて、もう少し言えば、麺は基本的にライスヌードルで、これは、少し太めのそうめんの感触。エッグヌードルはちょっと固めのゴムのような弾力のあるラーメンの麺に近い。具について言えば、3種類の選択があり、少し辛い煮込み風のビーフ、プリプリしたチキン団子、ちょっと大きめのシュリンプがふんだんにはいったシーフード系があった。 ベトナムヌードルの、真骨頂は、ちょっと野草のように癖のあるコリアンダー・パクチーがはいっていることである。これが好きか嫌いかで、ベトナム料理への嗜好の好みがわかれる。自由が丘でベトナム人の方のやっているお店でも、コリアンダーは安価には入手困難のようで、三つ葉で代用していた。 さらには、テーブルには魚醤と、とびきり辛い唐辛子系の香辛料がおいてあって、味付けは調整可能であるが、おおむねアミノ酸の味付けはほどよくできている。

さて、1週間ぶりぐらいに、東洋系のアミノ酸たっぷりの食事にありつけたのでベトナムヌードルさえあれば、ここでも生きていける、と初めてのコリアンダーの臭さにはエキゾチックな違和感は感じながらも、ひしひしと思ったのだ。

食の恨みは恐ろしいが、食の恩義は一生忘れないものである。 米国に暮らすベトナム人の多くは、ベトナム戦争後に渡ってきた移民である。米国の移民社会にも、目には見えない階級のようなものはあって、それは、労働者階級の職業で明確に知ることができる。たとえば、90年代のニューヨークの雑貨店はコリアンが多く、ベトナム人は彼らの後発と思われる。

上司がシリコンバレーのレストランのトイレで従業員向けに用を足したら手をきれいに消毒するようにと、の注意文が、中国語、スペイン語、その次にベトナム語の順番で書いてあることを最初に発見し、報告してくれた。
 
おそらくは、勤勉なベトナム人たちは、少なくとも建前上は、移民に対しても門戸をオープンに広げたアメリカの地で、後発という不利な条件の元、ある者たちは、自分たちのソウルフードであるベトナムヌードル=フォーを、万人向けに洗練させて世界標準へのと野望を抱いてレストランを展開していたのだ。それがITのデファクトの聖地シリコンバレーだったのは偶然かどうかはわからない。少なくとも、自分は、アメリカでアミノ酸系のいわゆる「だし」の効いた食事に飢えている者の一人として、ベトナム料理に邂逅したのだと言える。
 
その後、現地でのベトナムとの縁は続いた。現地での提携会社での担当者はちょっとヒドイ発音のベトナム人だった。深夜続きの共同作業が終わった後、タイ料理よりは少しばかり辛くないベトナム料理のスープをごちそうしてくれた。
 
唐代に陸願なる苦学生がおり、幼少より麺を好み、終日食べていたという。ある日ベトナム人がやってきて、黄金を差し出して、あなたが麺を好むのは腹中に「食麺虫」がいるせいであり、ついてはそれを、譲ってほしいという。これに応じ、さしだされた丸薬を飲むと、二寸ほどの大きさの食麺虫が口から飛び出、ベトナム人はこれを金箱に封じて去っていったという(張読「宣室志」、四方田犬彦「食卓の上の小さな混沌」)

米国で食麺虫が、腹に寄生してしまったのかどうかわからないが、帰国後は家族そろってベトナム料理のファンになってしまった。 ベトナム人への恩義が食麺虫のせいかどうかはわからない。
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