2015.08.02 Sunday

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2010.01.10 Sunday

望遠の思想・接写の思想

 望遠レンズと接写(マクロ)レンズのことである。

久しぶりにカメラを購入して写真を撮ってみて気がついた。
望遠レンズとマクロレンズには写真を撮る側の心情の違いがあるように思うのだ。

誤解をおそれずに言ってしまうと、かつて、カメラを好きになった愛好家というものは、その熱中度の大きさと次々に購入していくレンズの長さが比例し、望遠レンズを志向していく傾向があったようにみえる。

より遠くのものを、より鮮明にと、レンズの長さはもはやボディではさえ切れないほど長くなり、撮影者は遠くから手の届かない距離の被写体を、悪く言えば盗み撮りと、いう感じで支配することができる。

近代文化史の研究成果によれば、近代というのは人間の五感のうちの視覚が特異に発達した文化である。そこでは、もはや社会的な有機的結合を喪失し、バラバラとなった世界のモノを丸ごと俯瞰する願望が支配的になるという。

レンズでいえば、超広角のパノラマレンズがその典型であるといえるし、望遠というのは、被写体となる人またはモノとが自分のものであろうとなかろうと、視覚的に摂取できる能力を撮影者に提供しているといえる。

被写体は肉眼では同定も困難なハチドリのような小さな鳥かもしれないし、あるいは10メートル先の舞台のアイドルかもしれない。

いずれにしても、望遠レンズの時代のカメラマニアには、届かないモノを視覚的に手にいれるという悦びが与えられていたと思う。


最近デジタルレンジファイダー機を購入するに至って気がついたのは、イメージセンサの画素数だけでなくその高感度性であって、手ぶれ補正の効果もあいまって夜の写真がフラッシュなしで可能となった。レンズの焦点距離とセンサの関係からフィルム写真とカメラとは同じ焦点距離でもレンズ長が半分になって、マクロ撮影の能力も向上した。

そうなってくると、特に被写体は手の届かないレアなものであることは必要なく、撮影者は常に身の回りにあるモノをひたすら取りまくる歩くスナップカメラと化するのだ。

世界のブロガーが食事のたびに、はしを取る前にカメラを手にしてライトは十分でない手元のお膳の写真も簡単に撮影することがその恩恵の1つの例といえようか。






2009.12.16 Wednesday

珈琲の余韻とトルストイ

 


珈琲については自論がある。

うまい珈琲の味は、飲んだときの舌の味覚でわかるのだが、
それは、酸味のキレだったり、深い苦味だったりと、さまざま
である。

一方、まずい珈琲かどうかは、飲んだあとの後味でわかり、
それはどれも似通っている。

実は、文化、特に五感が関わることは、何ごとも「余韻」をもって
語ることができると思っている。もう少し正確に言えば、視覚や
聴覚での最初の刺激信号のアタックとそれが減衰していく余韻の
部分のバランスや組み合わせである。

たとえば、ピアノの音は、ジャンルや演奏スタイル、曲によって大きく異なる
ものではあるが、アタックの音は、ピアノの弦・鍵盤を叩く音だと
感じる。そして、弦または響板から叩いた音の余韻の音が続く。

うまい演奏はスタイルや個性によってさまざまだが、いずれも
鍵盤のアタックでわかるように思う。それは個性の発揮でもあって
どれがよいとは必ずしもいえないと思う。ところが、下手な演奏や
できの悪いピアノというのは、余韻の悪さがはっきりしている。

つまりは、良い演奏はアタックとその後の余韻がうまく次のアタック
へと音をつなげるのだが、悪い演奏はアタックと次のアタックが
うまくつながっていないバランスの悪さが本質的に、聞く側の
リズムを崩していくように思うのだ。

珈琲の話にもどれば、珈琲がまずいかどうかは、後味に珈琲固有の
ピリリと刺激を残すような爽快感がなく、ときに納豆のような
少し風味の落ちた匂いが残るという点で共通していると思うのだ。
珈琲の専門家ではないので、根拠は定かではないのだが、豆の鮮度
とローストしてからの時間などがこの味の余韻に影響でするのでは
ないだろうか。

インスタント珈琲とは、その意味で実際の珈琲から余韻をぬきとった
ようなものである。

トルストイは言っている。
すべての幸福な家庭は互いに似ている。
不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。(アンナ・カレーニナ)
幸福・不幸と珈琲と関係があるのかどうかは、まだわからない。



2009.10.12 Monday

切手蒐集礼賛2 あるいはラジオ少年

 

世界に散逸してしまった断片を回収して、世界を再構築するという使命感あふれる甘美な行為としての切手蒐集。その行為にいくばくかの疑問を持ち始めていたころに、僕の関心が高まったのは電気工作と無線通信だった。エンジニアリングという創造的・芸術的な作業のアウトプットとしての無線受信機は、そのまま無線通信への興味へと有機的に結びつく。

そう、世界を断片を回収して再構築していくという、おおげさに言ってしまえば、先天知のプラトン主義から、創造的に世界からの電波をキャッチしていくという後天知啓蒙理性主義への転換だとも言える。

アマチュア無線免許の試験の教科書の内容は、並列抵抗の計算式までは小学生には精一杯のところであるが、その教科書の先にある電気通信技術は、天に向かってそびえたつ、これから上るべき高みとして、目の前に現れた。

少なくとも、小学生の能力をもってしても、その高みからの眺望の一部は味わうことができた。すなわち、短波ラジオを誂えて、アンテナさえ工面すれば、世界のラジオ局からの放送をキャッチすることができるのだ。ちょうど、ブームとなっていたBCL雑誌の情報が、その行動を加速させた。

素朴な印象論に戻る。なぜ、人はノイズと混信のスピーカの音の中に、番組の内容も意味不明な放送を探りだすことを悦ぶのだろうか。アマチュア無線の交信証の交換に似て、キャッチした放送の受信報告を海外の放送局にエアメールで送ると、受信証明書(べりフィケーションカード)を送り返してくれるのだった。こうして僕は、日本語番組を持っているラジオオーストラリア、エクアドルの声、VOA、平壌放送から、ラジオソフィア(ブルガリア)までの電波をキャッチしてカードを射止めた。

まさに、メガヘルツ帯の電波でブロードキャストされた情報を受信して、郵便というナローかつ高遅延のメディアで返信するという双方向通信を通じて、僕はコミュニケーションの悦びを知ったのだと思う。

おそらくは、その未知の電波が、人為の放送ではなく、何かランダムな有意ではない雑音か何かであっても、あるいはパルサー星からの不規則信号であったとしても、僕は、洋々として夜もすがらノイズだらけのラジオのスピーカからの音に耳を傾け続けたと思うのだ。

最初の蒐集行為の対象が郵便切手であったことは、この点で、奇妙な共通点を持つことに気がつくのだ。郵便切手という小さな美術品が、単に美しい印刷物にとどまらず、郵便というローテク通信のための道具であったということは、通信というものが持つ一つの魅力が切手という形で世界に美しさをもたらし、まだ通信の魅力に気がついていない少年にメッセージを送っていたのではないか。

こうして、郵便切手という閉じた世界の美しさを追及していた小学生のメンタリティは、無線を通じて未知なる宇宙からの電波の中に有意な情報をつかみとろうとする啓蒙理性主義へとめざめていくのだった。

海外の放送局から届いたべリカードを同封した船便の封筒は、フチがぼろぼろになってはいたが、見たこともない美しい切手が乱暴に日付印がうたれ、僕はその使用されて切手を、郵便局で購った未使用の切手よりも美しいと感じたのだった。

それ以来、僕は、それがダイレクトメールであっても、郵便ポストを開けるのが楽しみな人間になってしまった。

少年は未知の電波と郵便を待つ性を持つのである。

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2009.10.12 Monday

切手蒐集礼賛

 

祖父が切手を集めるようにと言ったのは、小学校一年生の時だった。
郵便局に勤めていたという母方の祖父は、自分のコレクションから選った切手を貼ったノートを手渡してそう言った。

ノートの中には、いつも封筒で見かけるフツウ切手に混じって、中国の洛陽の白塔を描いた1932−1936年に発行の切手があった。そこには満州の文字が現わされていた。

その切手は、切手ガイドブックにも掲載されておらず、何年ものあいだ、僕にとってなぞの切手だった。

祖父の教えは、その後、少なくとも六年間は、僕の生活を支配することになったし、その後のオタクに属するような蒐集癖のこだわりぶりを振り返ってみると、多分に大きな影響をあたえてきたのだと思う。

僕には、その言いつけは何の抵抗もなく、夏休みの宿題のような負担感もなく、洋々を実行し、少なくとも中学生になるまではそれを続けた。

切手蒐集とは、多分に子供じみた行為ではあるが、仲の良いクラスメートたちが同じ趣味を始めるには3年ほどは待つことになる。

切手を蒐集するとは、基本的には記念切手発売日を入念にチェックして、当日は、学校の休み時間か帰宅途中で、郵便局に寄り、購入するというまさに小学生でも実行できる地道で素朴な行為だ。

もっとも、子供であるので、それこそ外食先の割り箸の袋から、新聞のチラシまで、コレクタブルなものは、身の回りに枚挙にいとまなかったが、日本の切手の多色印刷技術は、当時のカラー印刷雑誌のそれとは明らかに一線を画する鮮やかさがあったし、東京オリンピックの記念切手に代表される凹版印刷は、に蒐集の対象となる銅版画のエッセンスがつめこまれた一枚のアートだった。

僕は、教科書を必要とすることなく、記念切手で、あるいは、切手ガイドブックで、日本の国立公園から国宝、偉人、近代美術までを知った。

知識がアートであることも、断片の総体系であることも切手で学んでしまった。

僕は、小学校六年の時には、日本郵趣協会の会員になって、外国の切手の通販を含め、本格的コレクターへの途をめざすのだが、中学に入学するに至って切手蒐集の哀しさを知ってしまい、いつしか切手蒐集を卒業することになる。

それは、友人の親が切手をシート買いしているのを知り、切手販売店に行き、お金さえだせば、せっせと、郵便局に足を運んでそろえたコレクションもあっとい間にそろうし、大人のコレクターの中には、美しい記念切手をあえて、封筒に貼って使ってしまうというトンでもない行為をしていることに気づくのだった。

それらは、何か自分の大切な行為を台無しにされたようで、切手の魔力もそれとともに解けていったように思い出す。それは、コクトーの恐るべき子供の部屋から旅立ち、自我を確立すること一体不可分のことなのかもしれないが、失われた、という感覚だけはいつまでも記憶に残っており、こうしてエッセイに書く程度の残骸は回収できる。


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2009.08.25 Tuesday

(続)花火の余韻について

 

さて、話は東西の花火の比較論を披露で、おしまいでなく、もう少し続きがある。

アメリカから帰国してからは、花火大会の日程には敏感になった。
東京で言えば、東の江戸川の花火大会に対して、西は、多摩川の花火大会があって、毎年逃さない。北側では、世田谷主催の花火が、南側では川崎主催の花火が、対抗戦のように繰り広げられる。

七重八重と花弁を重ねたような造詣も、七色の色彩も、しだれ柳のように垂れて消え行くドラマも見事であるが、数秒後に追いかけてくる花火の音と、チリチリと重なる音も、次の花火を待ち構える十秒後の静寂が妙味なのだと思う。そして、花火が終わった後の「祭りのあと」というその日の余韻が、次の日の朝まで、さらには夏の終わりまで長きに渡りゆるやかに残り香を残すのだ。

精神病理学者の木村敏氏は、「祭りの後(ポストフェストム)」をうつ病に例えている。

さて、多摩川の下流に位置する川崎の街は、昔は工場地域の一角だったが、今では、ちょっと雑然とした歓楽街である。羽田空港から私鉄を乗り換え、JR川崎駅へと向かう川崎の夜の街は、いつも、少し雨が煙ったような匂いがして、ビルのネオンのあいまいさを帯びた原色は、どこか今にも消えそうな花火のようだった。歓楽街を行きかう人たちの笑い声と嬌声は、花火の余韻のようだと気がついた。

そして翌々日、始発のJRで川崎駅を降りて、羽田への私鉄に乗り換えると、歓楽街特有の朝の白々しさが街を覆っていた。そこでまた、気がついたのだ。歓楽街の朝は、花火の燃えカスであると。

たぶんに、個人的な想像力の範囲なので、どこまで納得いただけるような説明ができるかは甚だ自信はないのであるが、花火の余韻と川崎の歓楽街とは奇妙なアナロジーがあると思うのだ。

多摩川の上流の世田谷で打ち上げられた花火は、天空で華を咲かせ、宙に灰となって消える。ところが、花火の熱気に酔ったような微熱は川崎の夜の歓楽街のネオンに憑依し、さらには、翌朝には生ごみと一所にポリバケツの残り香を残す。

川崎の街が花火の余韻をそっくりそのまま残すのは、いかなる地の土霊のなせる技なのか。それを想像するのは、中沢新一氏の「アースダイバー」を引用しなくても比較的たやすく想像できる。

かつて、京浜工業地帯の工場が盛りの頃には、今はマンションが立ち並ぶ川崎駅北口には工場が並び、煙突が立ち誇っていた。工場に対して駅の対面の歓楽街は、煙突の煙と燃えカスを吸収して栄えていった。そして、産業構造の変化に伴い国内工場の煙突は姿を消した。

工業地帯の猥雑とした熱気は、平成の時代には、多摩川の花火大会の熱気が承継し、今の時代を生きている。これは木村敏氏に言わせれば、高度成長時代という祭りの後の余韻(ポストフェストム)かもしれない。

花火の余韻はこう問うている。日本人はいつであっても実の人生と並行して、いくつもの自分の花火の余韻のの人生を生きているのではないか。いや、いつまでもズルズルと未練を引きずって生きているというべきか。


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2009.08.24 Monday

花火の余韻について

 

アメリカの花火の話から始める。7月7日の独立記念日には、各地で花火が打ち上げられる。10年ほど前、アメリカで最初に独立記念日を迎えた日も、どんなイベントだろうかと、少しワクワクして、Redwood Cityにあるホテル・ソフィテルに出かけた。ソフィテルは、RSA本社の近くで、サンフランシスコベイに面したおしゃれなフランス系ホテルである。

満を持して、花火は打ち上げられた。それは、近所の小学校での運動会の開催を知らせるような連発の音とともに始まり、天上へ一直線に突き抜ける何本かのミサイルの炎の柱を真上に仰ぎ、ものの2分も立たないうちに終わってしまった。いや5分ぐらいは続いただろうか。

気持ちは、オリンピックのオープニングセレモニーに参加したはずが、マイケルジャクソンのお別れイベントに来てしまったようだった。あっけなかった。

なるほど、日本びいきの外人が、こぞって日本の花火を絶賛するわけがよくわかった。

要は、余韻というものがまったくなかったのだ。

帰り道にハイウェイを快適に走りながら考えた。
この土地は晴天はおそろしく素晴らしく、湿気はないのでエアコンも不要だし、汗でシャツをベトベトにして電車に乗ることもない。日本人に生まれて、そこに一生住む限りは、あの日本の過酷な夏を何十年もやり過ごさなければならないのは、大げさに言えば宿命であると。それだけがすべてでないにしろ、それは恵まれた人生とは言いがたいだろうと。

その一方で、日本の花火を味わうことができることは、なんど幸福なことだろうか。もちろん、それだけがすべてではないのだが。

アメリカに住んで、日本の花火も味わえてと、おいしい所取りの組み合わせもあるように思えるのだが、どうも、そのあたりの長所・短所はプラマイゼロにできているのではないか。花火の文化の背景に、鈴木春信が描くような夕涼みはあるのは間違いないだろうし、夕涼みが盛んなのは、室内にいてはやりきれないほど蒸し暑いからだろう。そうすると、蒸し暑くない国では花火は盛んにならなかったのではないか。

こうして、多くの異国経験者はナショナリスト、あるいは、日本文化愛好者となって自国に帰っていくのだった。ハイウェイを降りて家に着いた。




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2009.08.09 Sunday

午後三時の至福

  

屋外で写真を撮影するならば、午後三時に限ると思っている。太陽は、天空を西方へと進み、人の影は足元からフェンスの壁に移動する。被写体の面立ちは影に縁取られて哲学者の風貌へと変容し、モルタル住宅は半世紀の風雪を凌いできた文化財へと姿を変える瞬間である。

炎天下の正午では、屋外に立つ人の面立ちは真っ黒か、のっぺりしてしまい表情を表現するのはかなり難しいし、夕暮れでは、誰でも、その光景には十分な感動を覚えるものの、照度不足の条件下での人物描写は簡単ではない。

もっとも、午後三時という時刻については、夏であれば、一、二時間遅くてもかまわない。要は、影が物体の後ろに影法師のようにとり憑いている時間がポイントである。

50ミリのレンズであれば開放から少し絞ったぐらいで、被写界深度も浅めにして、穏やかで立体感ある仕上がりとしたい。

公園の芝生は、先端が金色に輝いて、繊毛のようにゆらめき、琳派の屏風絵かゴッホの絵かと見紛う。宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」のラストシーンで「大ばば様」が「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」とつぶやいた瞬間は、かくの如きであったかと思う。
特に、プロバンスやバスク地方、カリフォルニアの風景を想起して賛辞の言葉を連ねているわけではない。日本のどこにいても午後三時になれば、誰であっても、このような風景に至福の時を噛みしめることはできる。

にも関わらず、この風景が、まだ一個人の心象風景に属するものであるとすれば、それは世の中の人々から正当な評価を勝ち得ていないためだと思う。

平日ならばオフィスは仕事も佳境に入り、在宅の主婦は子供の帰宅の準備に余念がないし、週末ならば、ゴルフ大会の中継に熱中しているか、ショッピングの移動時間である。屋外に出て、あるいは立止まって風景に気がつく余裕がないのである。遠くの電車やトラックの音が味わい深く聞こえてくるくらいに気持ちを開放すれば、目の前の風景は金色に変わる。

至福という言葉が、信仰ではどのような状態をさすのか、具体的にはよく知らないのだけれど、ただ生きているだけで幸せというのは、このような状態をさすのではないだろうか。お金もかからないし。


一日の中で、午後三時がベストであると、すれば、季節では九月が一番といえるかも知れない。少し力のぬけた穏やかな日差しで街は色づいたクレヨンが涙まで染めて走ると竹内まりやさんも唄っている。

ビリー・ホリデイのヴァーブ時代のベストアルバムのライナーノーツでは以下のように、書き出している。

薄紅色と緑が織りなす春の輝きには誰もが目を輝かせるが、薄茶や蜜柑色それに金色が包み込む秋の美しさは、夏の終わりを見届け心に痛みを抱えた者でなければ味わうことができない、と。


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