2015.08.02 Sunday

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2009.12.09 Wednesday

小雪 21世紀になれない昭和の顔

 


小雪さんは、21世紀になれない昭和という顔をしている。

面長の顔立ちに、愁いをたたえた切れ長の瞳は江戸時代を感じさせる、いわゆる和風美人なのであるが、やはりまぶたの重さは陰という印象が強い。

その和風の面立ちも、筋の通った鼻の高さと、鼻の底辺の横幅の広さ、小鼻の大きさのあたりは少し日本人離れしている。厚ぼったく大きい唇とあわせて、顔の下半分は、アフロディーテというべきか、西欧の香りがたっぷりである。

ということから、小雪さんの面立ちは、顔の上半分の日本人顔が顔の下半分の西欧人の顔立ちへ変遷を見るような不思議な顔だと思うのだ。

だから、和風の顔だといっても時代劇だと、そのスタイルが良すぎる点からも、不自然だ。ちょうど、不毛地帯のような昭和のレトロな設定や、国産ウィスキーのCMのバーのカウンターが彼女にとってのぴったりの場所なのだと思う。

果たして、彼女の顔はどのように変わっていくのだろうか。和風一色となるのか、西欧一色になるのか、それは、日本の女性がどのような顔になっていくのかを代表して、試されてされているような顔なのだと思う。
2009.11.24 Tuesday

上戸彩 妹の力

 上戸彩さんには、妹の力がある。

こう書いてしまえば、もうそれ以上の説明は望まれないことをのっけからおそれる。直感的に自明なことに何かそれ以上の理屈が必要であろうか。それでも書き進めたい。

少し勢いも落ち着いた感のある上戸さんのドラマの役柄というのは、基本的に妹路線である。それは彼女役であっても(義経、NHK、2005)、若妻であっても(暴れん坊ママ、2007)、女剣士であろうと(あずみ、2006)、彼女の技は妹の力によるものである。

年下の女の子という、以上に妹の力が何かと、付け加えるとするならば、それは非力であっても、問題解決に、身体をはって立ち向かう「健気さ」だと思う。

その非力さとアンバランスな献身性に、世の中の年上の男性諸氏は、妹の力を感じざるを得ないのだが、年下であればだれでも「妹」たるアイドルの称号を得られるかといえば、ある一線を画する特異性があると思うのだ。

上戸さんの場合、それは健気さのリアルさが、どこか育ってきた環境でのひょっとしたらつらかった経験に伴う陰にあると想像する。そして、その陰が面影の一部に、ひっそりと痕跡を残しているように見える。

上戸さんの唇は、かなり分厚くて肉感的な魅力は間違いないのだが、その口元が笑ったときに、ときに、真横に、ときに斜め上に、広がる形には、どこか、実は天真爛漫の素顔を見せていても、笑いきることのできない、何かつらい思いが気持ちを支配しているような陰を一瞬感じる。

ほとんどの視聴者が気づかないその陰があることが、彼女の魅力に深みを与えているようにも思うのだが、その一方で、何か魂の浄化のような試練を自ら課して、芸能活動をボランティアの如く実践していうようにも思うのだ。そのボランティアの役割がすんだとき、彼女の笑ったときの口元の陰は消えて、フツウの笑顔の魅力的な一般女性に帰っていくのではないだろうか。

その面立ちは自らを汚して平和社会を勝ち取ったあずみのそれに重なる。
2009.10.31 Saturday

クリスマスキャロルの頃には / 稲垣潤一 & 広瀬香美

 

スキー場の歌を歌っていたボーイッシュな広瀬香美さんも、大人になって、ほおが少しやせて、イメージが変わったが、歌唱力に衰えはない。

稲垣潤一さんが、一曲ごとに、女性ボーカルパートナーを変えて先日リリースしたアルバムは、どれも女性陣が豪華であるが、広瀬さんとのデュエットが一番のできのように思える。カラオケの模範解答だろうか。

http://www.youtube.com/user/universalmusicjapan#p/c/5591E27344FA84A4/7/nMnrKFgh62Q



稲垣潤一さんは、20年前と変わらずドラムを叩いて、ボーカルをやっているようだが、年齢不詳の大人の味は変わらない。

結婚適齢期を過ぎた大人にとって、ラブソングがどのような社会的効能があるのか、よくわからないのであるが、20年前の感傷の経験も磨き上げれば、何かポップスの歌詞ぐらいに昇華することはできるということなのかもしれない。

クリスマスキャロルの頃には / 稲垣潤一 & 広瀬香美


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2009.09.22 Tuesday

酒井法子 愛情は女優を磨くか

 

美人は、周囲の人から愛されて育っている場合が多いので、明るい。ひがまない。結果として、美人顔であってもそうでなくても笑顔がステキになるのだと、斉藤茂太氏が書いていた。


なるほど、どこにでも書いていそうで書いていないことなので、妙に納得した。劣等感がないので、ほめられたことが糧になって、また笑顔の好循環になるのだと思う。きっかけが美人顔であったからなのか、笑顔が先なのかはわからない。

いずれにしても周囲の愛情は、美人をはぐくむということは間違いなさそうだ。

そうすると、チヤホヤされてデビューしたアイドルはどうだろうか。よりいっそう、ファンからの愛情と応援を受けて、磨かれていくという言い方もできる

確かに、ファンの愛情を吸収してスターとしての極みに上る方もいると思うのだが、アイドルそのものはファンの愛情では、美人は磨かれないような気もするのだ。

酒井法子さんは、刑事上の容疑者以上に、社会的制裁をうけていたと思う。その罪は何かといえば、ファンが期待していた清廉なイメージを損ねたというほかはない。そうであれば、酒井法子さんには、清廉なイメージは収入の対価にみあわないぐらいの苦痛だったかもしれない。

いささか、カムバックの計算もあると思うのだが、悪者の代名詞の悪口を吸収、こやしとして、酒井さんは大物女優になるような気がする。

そうすると、芸能人を磨くものがあるとすれば、それは愛情ではなく悪口だけなのかもしれない


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2009.09.05 Saturday

チョン・ジヒョンさん はにかみの笑顔 2

 

さて、ついこの間のことである。韓国映画のことは詳しくないのだが、「猟奇的な彼女」の主役のチョン・ジヒョンさんが、とんねるずのバラエティ番組のコーナー(「食わず嫌い」)に登場していた。

映画のポスターやPVでは、特に、気がつくところがなかったのだが、そのはにかみの表情は、藤谷美和子さんを凌ぐものがあった。と少なくとも、自分では納得した。なんというか、そのスイッチがはいっていない状態では、日本人の女性と比較すると地味な表情が、感情の吐露とともに、ダイナミックに変幻する思いがするのだった。

時に、世界の国々の人や文化に触れて、少しだけ体験したことが、書物に書かれた凡百の通説に再発見すると、疑いもなく性急に結論めいた結論に拘泥してしまうことが多い。特に、パーソナリティについては、XX人はXXXというのは、一番陥りやすい罠だと思う。私の例で言えば、日本人は、はにかみが美しく、韓国人はきりっとした激情にあると。

実のところ、韓国の女性には、ふと見せる激情を感じ、それは、韓国人固有のもの(ハン)と信じて疑わなかったのもその1つかもしれない。

韓国ブームよりずっと前の朴正煕政権時から、韓国への関心と、日本への紹介を続けてきた四方田犬彦氏は、「ソウルの風景」でこんな興味深いエピソードを示している。

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今回のソウル滞在中に何人かの在日韓国人と話をする機会があった。…
マルク経済学を齧ったことのある女性は「日本人に化けるのも韓国人に化けるのも簡単なことよ」と笑いながら、ふた通りの身分証明書の写真を見せてくれた。ひとつは日本での外国人登録証で、彼女はさっぱりしたナチュラルメイクで、いかにも日本のミッションスクールの女子大生という雰囲気だった。もうひとつは韓国の滞在許可書で、これは韓国風にべっとりとルージュを引き、アイシャドウを強く入れていた。これはどこから見ても、韓国のアガシ(お嬢さん)だった。

わたしは思わず苦笑した。一九七九年のソウルでは事態は正確に逆であったからである。当時、韓国の女子大生はほとんど化粧というものをせず、何かの機会に日本の女子大生が厚化粧をしているのを目撃すると、酒場のホステスみたいだと気味悪がり、近づこうとしなかった。逆に二〇〇〇年のソウルでは、若い女性はべっとり化粧することが常識となっていた。…

人が往々にして真に韓国的なるもの、真に日本的なるものと信じこんでいるものの正体とは、案外この程度のものではないか。
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同書での四方田氏の言説を、敷衍するならば、文化のハイブリッド化によって、それぞれの女性がどこの国の生まれかという評価の呪縛からは、解放されて、真のパーソナリティが評価されるのではないかと思う。

その時に、はにかみは、どのような文脈でとらえられるのだろうか。



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2009.09.04 Friday

藤谷美和子さん はにかみの魅力

 


はにかむ笑顔と物憂げな表情は、日本の女性のお家芸と、思っていた。

いつだったか、お酒の入った席で、日本人の女性の美しさをネタに熱弁をふるったことがある。日本人の同僚のほかには、韓国の女性と、確か、カナダの女性がいた。もちろん場所は、外国である。

確か、藤谷美和子さんのデュエット曲がはやっていたころで、誰かがカラオケで唄っていたときだと思う。全米デビューした松田聖子さんのような、かわいさをアピールする戦略は、常にパワーが期待されるアメリカでは、成功は難しいことから話は始まったと思う。

カラオケのPVに現れる藤谷美和子さんは、あの歌舞伎の流し目か、あるいは目を逸らしているかという、はにかみの表情に、日本人の男性は、女性がはにかんだり、物憂げにしているのを魅力に思うのだと、MyOpinionを披露した。カナダの女性は、確か、かわいさのアピールの戦略は、米国では、マジョリティを獲得することは困難と同意し、物憂げな表情の魅力については、否定するものではないが、それは、よくわからないと言ったと記憶する。

ちょうど、前の席にいた韓国の女性は、こちらの熱弁には、集中しておらず、隣の同僚の冗談に、ちょっとまじめに怒っているようで、韓国人特有のストレートな感情表現をみせていた。

もっと拙い英語の上での、熱弁なのではあるが、さすがに、日ごろのあたりさわりのない話題を越えて、実はこう思うのだがと披露したこともあってそのことはよく覚えていた。

藤谷美和子さんは、その後、TVからもすっかり姿を消してしまったので、そのことはすっかり忘れていたのだが、時々、TVの歌番組がネタに窮して、特集する90年ベストXXで彼女の姿を見ると、米国でのはにかみ擁護論をふるったことを思い出すのだった。

続く


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2009.09.01 Tuesday

(続)松田聖子頌 戦友たちに捧ぐ

 


一人目の女性は、中学生のとき1つ上の代の生徒会副会長で、周囲の評判もよかったのだが、宗教団体に入信か何かの理由で高校三年生で休学してしまったときく。

二人目のクラスメートは、才気活発で、男子だけのぼくたちの球技部に、始めての女性部員として入部してきた。見た目以上に努力する姿は、求道的な印象だったが、女子大では寮の図書室にこもり、結婚後、すぐに子どもを連れて実家に帰ってしまったときく。

三人目のクラスメートは音楽大で、声楽を専攻していたが、婚約したという噂と間もなく旅行先で亡くなってしまった。

感傷といえばそれまでなのだが、家族や兄弟を少し拡張したところの、隣人愛ともいうべき範疇で、つつがなく人生を送ってほしいと思うのだ。


松田聖子さんにしても、アイドル卒業後、彼女には大女優という才能までは恵まれなかったように思うのだが、CMでも何であれ、しぶとく逞しく暮らしているようであれば、僕の感傷などは、あっという間に、消えてしまって少し安堵した思いとなる。

クラス会に出席してくれば、その辺りは全部解消されると言われたとしても、僕には首肯できないところが残る。クラス会のハガキが来るのが少し怖いような気がしている。


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2009.09.01 Tuesday

松田聖子頌 戦友たちに捧ぐ

 

松田聖子さんが携帯電話のCMに登場しているが、あの会話の口調には違和感がある。福岡に住んで、こちらの女性と話をしてみると、僕が標準語であればおおむね標準語で返答してくれるものだし、地元の方どおしの会話であればもっとフランクでくだけた博多弁となるからだ。

CMの演出に、最初から期待などしていないが、あのぎこちない犬との会話は、毎日、明太子と豚骨ラーメンを食しているような見事な偏見を感じないわけでもない。


松田聖子さんには、同い年ゆえの、思い入れというか、一方的に意識してしまうところがある。それは熱心なるファンだったというものではない。なんというか、その生意気さと可愛さがあいまった受け止め方で、アイドル時代とアイドル卒業後の自由な生き方とやらを目にしてきたところの、クラスメートという戦友を見守っているような思いなのだ。

特に、具体的に松田聖子さんにそっくりなクラスメートがいた訳ではないのだが、時に学級委員だったり、生徒会副会長だったり、聡明または活発だった彼女達を松田聖子さんに投影するからだ。

続く


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2009.08.26 Wednesday

中森明菜さんについて考える

 

デビュー27年目と紹介されてNHK「SONGS」に登場した中森明菜さんは、80年代、時代の頂点に立ったオーラを再確認させるには十分な存在感を醸し出していた。

軽いカールのかかった髪形に、少し目元を強調したマスカラとルージュの口紅は、小柳ルミコさんを思わせるような艶を残す。、サバトに赴く魔女を思わせる黒づくめのワンピースに70年代のフォークシンガーのようなストイックさに、少しやせた頬が大人の女性を明確に表現していた。1つの静謐なタブローを眺めるようだった。

最近の活動は、歌姫と称して、歌謡曲、ポップスのカバーをこなしているのだが、どの楽曲も、絶頂期から衰えない歌いっぷりとともに、大人の抑制が効いていて、なるほどスターとはこのようなものかと感心した。

特筆すべきなのは、彼女のハスキーボイスである。もはや歌う歌の内容が何であっても、中森明菜の完成した歌唱となってしまう。

一青窈さんのことを、歌う顔がヌードな表情であると、賛美するならば、44歳になった中森明菜さんについては、どんな歌でもハスキーボイスでこなせる人間ジュークボックスのようだったと絶賛することができる。つまりは、どんな歌であっても、中森明菜さん風に見事に表現されるのだ。

昨今は、音源ソフトに歌を歌わせて、youtubeに、アップロードされた歌をよくみかけるのだが、もはや中森明菜さんのハスキーボイスには、音源ソフトのように完成されたような極みをみる。

なぜNHKの「SONGS」は、往年のアイドルを次から次へと登場させるのかと考えると、僕らのような往年のファンを懐かしせるだけではなくて、2000年以降、アイドルがいなくなってしまったからではないかと思う。

そして、アイドルを卒業した彼女らも、ちゃんと、自らの意志決定をもって、それぞれの音楽活動をしている姿を確認するのも、悦びと思うのだ。


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2009.08.14 Friday

顔の成長




テレビなどで見る人物の顔つきに変化を見て、ときに、感動したり、驚いたりする。

顔つきの変化が好ましいものであっても事情は複雑だ。

サッカー日本代表の岡田監督は、1997年に加茂監督が更迭されて、コーチから代理監督になったときは、いかにもコーチという顔つきをしていると思った。何度も日本の過大な期待を背負った試合をクグリぬけ、いつの間にか少しフテブテシイ監督の顔つきになった。最近は、もうやめたいと言う顔にも見える。

光市の母子殺人事件の被害女性の夫の男性は、最初にテレビに登場したときから、ずいぶんの印象が変わったと思う。事件直後の少しこわばった呆然自失の表情は、その後の判決ごとに精悍で堂々たる顔つきに変貌した。

もっとも、その背景の痛みを想像すると、精悍な顔つきに変わったことは、本人の望むところではなかっただろう。いくら顔つきの変貌を賞賛されようとも、少し固さを残す実直な表情のままごくフツウの生活を過ごせればよかったことを想像すると複雑な心境になる。

あっと言う間の老け込みも、思いは複雑になる。

伝説のジャズプレイヤーのチェット・ベーカーは若いときは、甘く倦怠感あるトランペットとボーカルが持ち味の美男子だった。麻薬漬けの生活だったと聞くが、晩年の写真を見ると、六十歳前とは言え、青年が浦島太郎のようにあっという間に老け込んだような表情で、少しショッキングである。

鬼才中島らも氏が、自ら記した半生記で、現代としては稀有な破滅型文学者の生活を送っていたことを知ることができる。階段からの転落という不慮の事故で亡くなった後に、妻であった中島美代子さん記した著作からも、らも氏との波乱万丈の生活ぶりを確認することができるのだが、それは彼女自身もかなり常軌を逸脱した暮らしを余技なくされたことが知られた。

彼女の著作のカバーには、松田勇作ばりのらも氏と玉子のような童顔の彼女の若いときのツーショットの写真が使われているのだが、子供が成長したころの彼女の写真もあっという間に年をとられた面立ちに、同一人物とは受け入れがたい思いがする。

さて、語るには旬を過ぎているが、北京オリンピックでは、若い選手の台頭が心強かった。大人の過剰な期待や批判など臆することなく、マイペースで成長する選手の後姿は頼もしい。

若手の一人に体操の鶴見虹子さんがいたが、最初は小学生なのかと思った。実は彼女は高校生なのだが、体重が40キロに満たない小さな体とそのあまりに幼い顔立ちには、国民の過度な期待を課していると思うと痛々しい。日本はここまで、幼い者たちに頼らなければならないのかと。

彼女がこれからどんな顔の成長をみせてくれるか楽しみである。付け加えるならば、応援する側が痛々しく感じない程度に、少しぐらい生意気な顔立ちの大人になってほしいと切に願うばかりである。



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